日本橋モラロジー事務所

NIHOMBASHI

MORALOGY

日本橋モラロジー事務所からの大切なお知らせです

畑毛訪問

今年は事務所集団受講ということで、6名で畑毛に廣池千九郎研究講座を受講しました。学祖は畑毛の別荘に富岳荘と名付け土瓶の下敷きにか書いたそうです。そして、その横に「友遠方より来る 皆自ら道を得て還る」とお書きになりました。この還るとは何度も畑毛に戻って学びなさいということ。まさに、論語「学んで思わざればすなわち罔し、思いて学ばざればすなわち殆し」また、「古の学ぶものは己のためにし、今の学ぶ者は人のためにす。」とあります。本当に「学び」の大切さを説いた言葉で、幾つになっても学ばなければと思いました。

Akira.Ohkubo

代表世話人のコラム

令和7年10月『無慈悲の慈悲』

以前、高校の部活指導で練習試合を行ったとき、若い先生から部員についての相談が合った。2年生の生徒とその親から指導が厳しいという指摘を受けたそうです。そしてその生徒数名は退部したそうです。その対応について私は無慈悲の慈悲のお話をしました。薬師寺故高田後胤前管主は師匠である橋本凝胤が非常に厳しく、いつもこっぴどく叱られたそうです。ところが、戦時中高田前管主が野戦砲兵学校に入隊した際に師匠から週に二三通の書簡を頂いたそうです。そういう師匠は確かに厳しい人でしたが、その厳しさは師匠の弟子への厳しい愛情であったことが後になって分かったそうです。そのときに高田前管主は無慈悲の慈悲を感じたそうです。古文真宝に「子を養いて教えざるは父の過ちなり。訓導して厳ならざるは師の惰(おこた)りなり。父教え師厳なること両つ(ふたつ)ながら外無けれども 学問成ること無きは子の罪なり(子供を生んでも躾をちゃんとしなければ父親の過まちである。教え導くのに厳しくしないのは師の怠たりである。父は教え、師は厳しく、両者ともに一意専心、不足をいう余地もないのに、学問が成就しないのは、勉強しない子の罪である。)」とあります。父親がきちんと教え、師が厳しく指導する。そこには無慈悲の慈悲がなければならないと思います。また、今は個性尊重と言われ、子どもの個性だからそれを伸ばしてあげるのが親なんだとばかり何も訓練しない、意見もしない、躾もしない、何もしないで放ったらかし。本来は訓練によって磨き出されるのが個性で、自分の姿をもって子供の個性を磨いてあげるための訓練や躾を怠りなく勤めていくことが大切だと後胤前管主はおっしゃっています。あるときには父親が理不尽なことを言うかもしれません。指導者が納得のいかないことをさせるかもしれません。ただ、そこにきちんとした慈悲があれば子供は成長していくはずです。今の世の中はパワハラだモラハラだと訴える人たちがいます。確かにハラスメントをしている人もいると思います。しかし、その訴えている人たちは父親や師が慈悲をもっていっていると感じることはないのでしょうか?

令和7年9月『目に見えないお陰や過ちに心を向ける』

戦後80年。モラロジー財団の青年部が6月21日から沖縄で開催された青年研修会に参加。初日にジャーナリストの三荻祥氏の特別講話をお聞きしたそうです。その講演の中で三荻氏は沖縄戦についていろいろなガイドブックを調べたが、『犠牲になった沖縄』という見方しかないと指摘し、自身も当初かわいそうな沖縄という印象を持ったそうです。しかし、ひめゆり学徒隊などの遺書や手記を読み進めるうちに見方が変化したそうです。沖縄戦で県民はただ犠牲になったということはない。故郷である沖縄を守るために軍・官・民が一体となって懸命に戦ったと説明された。また、沖縄の歴史を正しく伝えるためにどうしたらいいかという質問に対して、八十年間の犠牲者史観が染みついていると指摘したそうです。私も現職の時、飛行機での修学旅行が解禁になり、すぐに沖縄修学旅行に行きました。平和教育という目的だったので平和の礎やガマ(洞窟)に入り案内の方のお話をお聞きました。ガマの中は照明 のない自然のままの洞窟で懐中電灯を持って入り、奥に入ると懐中電灯を消し真っ暗の中でお話を聞きました。まさにここが負傷兵のいた場所でひめゆり学徒隊が傷病兵のお世話をした所。そして、そのひめゆり学徒隊の自決のお話をお聞きしました。3年目の修学旅行でお話をお聞きしたときに、まさにこの犠牲者史観を強く感じました。さて、昭和60年瑞浪麗澤高校創立25周年記念講演会で薬師寺故高田後胤前管主がお話しされました。その中で「今日の日本の平和と繁栄について。あの大東亜戦争の時に、310万人を超えた方々がお隠れになっています。あのお命のご遺産が、今日の日本の平和である、繫栄であるということをどうぞお忘れにならないようにお願いします。過去のお陰を不真面目にして、家であれ、国であれ、個人の人生であれ、未来豊かに栄えた例はございません。戦争に行かれた方々だって、なにも自分の名誉や利益のために戦争に行かれたわけではありません。個人個人の行為、個人個人の業(心づかい、心がまえから発する行為)というものがあり、国民であるがゆえの業や、地域社会に住む人々の共通の業、共豪というものがあります。私どもに代わって、それらの所感を背負って亡くなられた、その310万人のお命のご遺産が今日の日本の平和である、繁栄であるということを忘れてはならないと思います。けれども私ども今日、果たしてそういうお命に対して申し訳の立つような生き方ができているでしょうか。私も人様の前でお話しさせて頂く時には、最もらしいことを申しますが、自分自身に立ち戻った時、忸怩たらざるを得ない、本当に申し訳さをお詫びしないではいられません。そいうことを思いながら、毎年、慰霊法要の旅にあがらせて頂いております。サイパンン島にしてもグアム島にしても、今は海水浴や観光に行くことができます。これは、やはり戦後の平和と繁栄のお陰です。けれども、そういう所に行った人たちの姿を見ていると、無知なるがゆえの罪の恐ろしさを思わずにはいられんことが常です。ちょうどジャングルへ入ってそこでお経をあげていると、目の前にご遺骨がある。こういう島の周辺に飛行機や船が無数に沈んでいます。そういうことを思うにつけて、無知なるがゆえの罪の恐ろしさを感じます。」日本橋事務所は9月13日に靖国神社に正式参拝をします。目に見えないお陰に改めて感謝の気持ちを持っていきます。

令和7年8月『新盆』

私は次男の末っ子であまり仏事に関心がなく今日まで来ました。ところが、全号記述したように私の両親・義父母・義妹が亡くなっていくとそんなわけにはいかなくなりました。今年は義妹が亡くなっての新盆。我が家では初めて法要の準備を考えなければなりません。お供え物・盆棚の飾りを葬儀社さんにお願いして妻が準備しています。そして、法要について平井宥慶の「弘法大師に学ぶ」を読んで気が付きました。法要の趣旨を述べられているのが「願文」だそうです。願文とは仏さまに願う文章で私たちの想いを表したものだそうです。願文には①仏さまに讃えて帰依(心のよりどころ)する心を表明する②今地上の人々への敬いの想いを吐露する。つまり、モラロジーの考えである伝統に対する恩の深さと同じであり、親の恩は身を粉にしても報じ難しと言われます。③法要する両親・義父母・義妹への思い出、悲しみを述べ喪失感を吐露する。妻は先立たれた義妹に対してまだまだ悲しみを抱えているようです。その思いを吐き出すのが今回の法要の意味かもしれません。④自分がどのように“いま”を生むかえているかを述べる。つまり、普段の自分の不徳を反省すべく法事を施し、功徳を願うということ。単に迎え火をして先祖の霊が留まり、送り火をして帰ってもらうというような安易な気持ちではいけないことを知りました。⑤その決意を、何らかの行動を為すことで補い、救いいただけるように祈願する。私自身の毎日の生活を振り返り、心を付けた道徳実行を再度決意することではないかと思います。⑥理想に近づいていればよく、そうでなくても神仏に力を借りて明日への活きる元気を頂けるようにお願いする。つまり、世界の平和と明日の自分とそのご縁の人々の安心と元気を祈願すること。以上がお盆の法要の意味だそうです。先祖の霊が滞在しているしるしである盆提灯を準備し、迎え火をする中で自分の不徳を反省し人様のお役に立つ人間になるよう努力することを誓う。今年の7月13日の迎え火に際して、改めて今までの自分の人生とこれからの人生を考える機会にしようと思います。

令和7年7月『星野家具足』

6月1日(水)モラロジー教育財団伝統の日に参加しました。モラロジーでは伝統本位という考え方なので、たくさんの方々が参加して行事が開催されました。家の伝統では親・祖先を大切にするということを教えられています。さて、1月2日に義妹が他界しました。義母が一昨年の11月に義父が2010年に他界しました。姉妹二人でしたが妹に先立たれ、妻は結構ショックの様です。今まで我が家の仏壇には生の仏花はあまり置いていませんでしたが、草月流の師範の義妹なのでお花を大事に飾っています。そして、妻の実家の仏壇を片付けることになりました。何とお位牌が10基あり、古くは安政5年のお位牌でした。そして、そのお位牌にも驚きましたが、実家には具足がありました。私がまだ結婚する前に妻の自宅に呼ばれたのがゴールデンウィーク頃で、玄関にその具足が飾られていました。当時は玄関にある具足より、義父に遭うことで緊張していて目に入りませんでした。この具足も片付けることになり、調べてみると大阪の高槻藩の文字が書かれていました。今回、改めて妻の実家の伝統に驚くばかりでした。以前から妻の運の良さに感心していましたが、ここにその原因があるのだと実感しました。廣池千九郎学祖の教えと同じですが、安岡正篤先生の傳家寶七項目の2項がこんな内容でした。「一、我が幸福は祖先の遺恵。子孫の禍福は、我が平生の所行にある。二、平生己を省み、過ちを改め、事理を正し、恩義を厚くすべし。百薬も一心の安きに如かず。」妻の幸福は祖先の遺恵にある。結婚40年を過ぎそばにいる私は、妻の好運命に驚くばかりです。一言で言ってしまえば運がいいと言いますが、本当に驚くことばかりです。なので、そういう時は「ママだから」当然だと片付けています。この運の良さこそ祖先の遺恵から来るものなのだと、星野家の最後を見て感じました。本当に自分たちの善因が善果になることを実感しております。そして、子孫の禍福は普段の私の行いと心づかいが大切で、百薬もかなわないということ。子供や孫のために善行をただ重ねるのみとして実行しています。

令和7年6月『無党無偏』

5月6日のモラロジー道徳教育財団記念館講話に井出元副理事長の講話をお聞きしました。財団の麗澤館玄関の正面に掲げられている、博士の最初の教えである「無党無偏天道平平」のお話をされました。無偏無党とは、主義や思想にこだわることなく、一定の党に所属せずに、公平で中立の立場をとること。廣池博士は日清日露戦争、第一次世界大戦、また政治政党立ち上がった戦前・戦中・戦後を通して首尾一貫してこの基本的姿勢を守り通しました。無党無偏は団体の生き方であり、個人の生き方でもあります。さて、個人として私たち自身に主義主張にこだわらず公平でいることをどう考えるか。私は般若心経が頭に浮かびました。「摩訶般若波羅蜜多心経」とは偉大なる真理に目覚める智慧で、安らぎの世界に至るための、仏教の心髄となる教えです。「般若」とは悟りの智慧という意味で、知恵とは人間の知恵で難しい状況を乗り越える知恵。智慧は物事を正しくとらえ、真理を見極める為の認識能力。心経の中にある「色即是空 空即是色」とは一言で言えば「空」という一文字が般若心経の心と故高田好胤薬師寺管主・法相宗管長がおっしゃっていました。「空」とは「むなしい」「そらぞらしい」「からっぽ」という意味がありますが、心経では「かたよらない」「とらわれない」という意味を表しています。そして、好胤管主は般若心経の心を「偏らない心・こだわらない心・とらわれない心・広く広くもっと広くそれが空の心なり」とお話しされています。私はこの「偏らない心・こだわらない心・とらわれない心」を自分の標準として心の中心に置いています。そうすると物事にこだわらない、とらわれないことが多くなり不安や悩みが無くなりました。自分の目でみて、耳で聞いたことをきちんと判断し、他に惑わされることなく自分の道を行くことができるようになりました。明治天皇のお歌に「あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな」。すべての人の心、すべての価値を受け入れる、広々と澄みきった心を歌われています。まさに「空」の心だと思います。少しでもこの「空」の心に近づけたらと思います。

令和7年5月『陰徳について』

4月の感謝の集いのお当番に来て頂いた鈴木広英講師が道徳的共同体づくりに何ができるのか、知恵を集める時で次回参加者で話し合いをしようということになりました。さて、現在にわが国は道徳的共同体ではないのでしょうか。私はヤフーニュースやMSN(マイクロソフト)ニュースを毎日見ます。必ず見るのが訪日外国人たちのわが国に対する感想です。街がきれいで静か。人がやさしく親切。食べ物がおいしい。交通手段も時刻に正確で便利等。まさに日本が誇る道徳的共同体に対する感想ではないでしょか。しかし、その自覚がマスコミの影響で薄らいでいる気がします。夕方見るニュースは高齢者の運転事故、逆走。特殊詐欺事件や無人店舗での窃盗。殺人事件等の不道徳な内容ばかり。人が行った良いことや道徳的なことはニュースにならないようです。マスコミが日本人を貶めているといっても過言ではない気がします。3月25日に能登輪島に行ってきました。昨年の地震後何かお手伝いができないかと思っていましたが、我が家に不幸が続きできませんでした。やっと時間が取れたので経済支援と思い行きました。震災当時に美しの森幼稚園が支援を行った輪島の海の星幼稚園に義援金をお持ちすることが目的の一つでした。宿泊した山中温泉から車で3時間。海の星幼稚園に着くと、前に走っていた車からお米を幼稚園に運び入れていました。輪島にお米を持ってきたそうで、そのうちの30kg2袋を幼稚園に置いていきました。日本人は善いことをしてもそれを自慢しない。陰徳を積むことをよしという考えの方が多いと思います。令和3年の日本橋だよりに「陰徳を積む」を書きましたが、道徳的共同体を考える時、個々人がコツコツと陰徳を積む。モラロジーHPのブログに『心の内からわき起こる動機にもとづく「陰徳」は、報酬や評価では得られない深い喜びや充実感をもたらします。また、自分の利益や名声を目的とせず、人や社会のためにすすんで行動する姿勢は、周囲にポジティブな影響を与えます。』つまり、人知れず行う道徳実行は、自分の中に充実感が湧き、道徳的共同体づくりに貢献できるのだと感じています。

令和7年4月『街の品位を高める』

毎朝モラロジアンの先輩が近所のごみを拾い掃除をしています。私も掃除をしたほうが良いのですが、なかなか仕事を続けていると真似ができません。松下幸之助氏の商売心得帳の中に「街の品位を高める」という著述があります。自分のお店を常にきれいにしてお客様が入りやすくすることが商売が発展していくために大事な一つ。そして、店舗をきれいにするということは単にお客様の購買意欲を高めるためだけでなく、自分の街の一部をなす店舗であるから街の美醜に影響を与えると書かれています。お店や家々が街全体を考えるということは、その街の道徳心にも繋がっていると思います。2月から我が家の外壁の塗装をお願いしています。さて、屋根と壁の色をどうしようか。息子たちが我が家に来た時に相談しました。すると、息子と孫娘は屋上に行き周りの家を見まわして、屋根と壁の色を決めてきました。なんでその色にしたかを聞くと周りの家々と違和感のない色にした。家は街の一部で、周囲になじむことを考えたということです。それを誰が言うでもなく決められることに、我が子ながら感心しました。40年間の都立高校教員生活で、勤務場所は城東地区(墨田区・江戸川区・葛飾区)でした。高校に勤務していたので地区の中学校の様子が耳に入ってきます。生活指導をしていたからなおさら問題行動が多発している中学校は気になっていました。当然、荒れている中学校の地域・コミュニティの道徳心がそこにないと感じていました。息子家族が孫のアレルギーの関係で家を出る際、どこに住むかはこの様子が頭にあり息子夫婦に伝えました。2か所の候補がありましたが、現在住んでいる柴又を進めました。帝釈天があり昔からの住民がしっかり地域を支えている様子を感じたからです。その孫たちも下の孫が無事小学校を卒業。お嫁さんは柴又の地域性に感謝しています。そういう意味で、両国も同様でお相撲さんの街、地元の人たちが代々住んでいる町。安心して生活できています。地域社会での人のつながりが薄れてきている現在、まず自分の住んでいる地域・コミュニティを自分自身が大事にすることが重要と思うようになりました。

令和7年3月『自衛隊に感謝』

先日、モラロジー道徳教育財団の服部道雄参与より公益財団法人日本国防協会編集の『日本の国防』に執筆された「松島基地ブルーインパルス研修」の文章を頂きました。服部参与には日本橋事務所の先輩から日本橋だよりを送っていただいており、その縁で私に送っていただきました。掲載された内容は日本国防協会の意義・役割、気付かずとも守られている幸せ(日本の領空を侵犯する不審機は令和5年は669回、平成28年は1168回。雨の日も、風の日も、盆も正月も、命令があれば5分以内にスクランブル発進できるよう身構えて下さっている隊員のおかげ)、最大の被害地石巻市にある「みやぎ東日本大震災津波伝承館という内容等です。その「みやぎ東日本大震災津波伝承館」の中に、福島原発事故後3月17日に宮城県の霞目飛行場から飛び立ったヘリコプターが原子炉上空からバスケットの水を投下したこと。この時、隊員は重さ20キロの鉛の防護衣を装着していたことが掲載されていました。私は東日本大震災時における自衛隊の活動は忘れることができません。3月11日後の5月ゴールデンウィークに日本橋事務所の皆様と支援に行きました。岩沼の海岸に向かって車を走らせた時、自衛隊員3名がブルーシートを引きずって重い足取りで歩いている姿は忘れられない光景です。翌日、避難所の前で避難者に豚汁やコーヒーをお出しした際、近くに避難者への食事を提供すらために若い自衛隊員がいたのでコーヒーをお出ししました。後で師団長様からご丁寧なお礼のお手紙をいただきました。当時、隊員の中にPTSDになった隊員がいたという話を聞きました。『現在、自衛隊に入ってくる若者は、特別な人ではありません。中には挨拶もできず礼儀も知らない若者もいます。しかし、一年間教育するとすばらしい隊員になります。どのような教育をするかといえば、入隊した日から「公」とか「国家」ということを大上段から教えるのです。「私」とか「個」のみの教育を受けてきた彼らは、大きなカルチャーショックを受けます・しかし、国を守ることがいかに尊いかを知り、災害派遣で一度でも人の命を救う経験をすると、皆一様に変わります。公に尽くすことは心地よく、誰が何と言おうと人間の幸せだからです。私は部下に常々「人は人によって生かされ。人は人のために生きる」と話してきました。若者が国を守ることの崇高さ、人を守ることの心地良さ、そして実際に人を助けるという体験をすると人が変わります。(織田郁夫 まなびとぴあ8月号)』2月4日日本海側を中心に大雪が予想されることを受け、中谷防衛大臣は災害に備え初動対応にあたる部隊「ファスト・フォース」を24時間待機させるなど「万全を期す」と強調しました。私たちは自衛隊の存在をなかなか意識することができません。しかし、もっと自衛隊の隊員への感謝をしなければと思いました。

令和7年2月『お書初め』

小学校ではお書初めがありました。お書初めは平安時代の宮中における「吉書の奏(きっしょのそう)」という行事がルーツだそうです。吉書の奏は、改元・代替わり・年始など、ものごとがあらたまった節目に、天皇に文書を奏上するというもの。日本人としては大事な行事でした。私の両親・義理の両親とも達筆で毎号に筆絵を載せていただいています。そして、私も少し字がうまくなればと思い高校勤務の時に空いた時間に生徒と一緒に書道の授業を何年か受けました。小学生の時に少し書道教室に通いましたので違和感なく筆を持ちました。その後、練習のつもりで年賀状の宛名書き等にも筆を持ちました。今回小学生のお習字を見て2度書きをする子供達に驚きました。子供達には「お絵描きじゃないんだから」と言って見回りました。時間割にも書写と書いてあるクラスもあり私の書道のイメージと少し違うと感じました。書写とは文字を正しく整えて一字ずつ書き写すことで、小・中学校の国語の授業の一部として習います。 毛筆や硬筆を用いてお手本どおりに文字を正確に書き写し、誰が見ても美しい字を書けるようにすることが目標です。 目的や必要に応じて速く文字を書く力も養う。習字は文字通りに字を習うことを指し、字の正しい書き順や美しい字の書き方を習う。書道は字を通した自己表現が最大の目的。 文字が生み出す美しさを追求することが書道の定義・目的ということ。子供たちを見ていて文字を正しく整えるという意味であれば2度書きや小筆でなぞることもありかなと思うようになりました。以前の日本橋だよりに不易と流行をテーマにしました。『不易ふえきを知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず。』不易ふえきすなわち、変えてはならない伝統やしきたりを知らなければ、基礎が成り立たない。しかし、流行すなわち時代の変化に沿った新しさも知らなければ、新たなものは生まれない。古い修身の教えも理解したうえで、時代に合った新しい道徳も納得しなければとお書初めを見て感じました。

令和7年1月『お供え』

いよいよ令和7年が始まりました。今年が皆様にとって良い年でありますようお祈り申し上げます。さて。今年は巳年。蛇には一般的に嫌われがちでネガティブなイメージもありますが、古来より豊穣や金運を司る神様として祀られることもあり、神聖な生き物として認識されてきたそうです。巳年、皆様方の生活が豊かでありますようにと願っております。新年が始まり皆さんは初詣に行かれましたか。喪中のわが家ですが葬儀後50日を過ぎればよいというお話を聞き、神田明神に参拝しました。二十数年前父(定七)の発案で一族でお伊勢参りをしました。その時に父からは手水舎での作法や神宮での願い事は個人のお願いはダメで、一年のお礼もしくは何かの誓いをするのだと教えられました。以来、25回続けている年末の伊勢参拝の際は、必ず一年のお礼をさせていただいております。今年は都合により東京大神宮にての参拝でしたが、申し込みの際のお願い事は「神恩感謝」でした。神社やお寺に初詣に行かれた際には、お賽銭をお供えしたと思います。このお賽銭の意味は感謝の気持ちとしてのお供えが由来。その起源には諸説があるようですが、現在のように神社にお参りするとき、お賽銭箱に金銭でお供えることが一般的となったのはそう古いことではない。もともと、御神前には海や山の幸そしてお米は特別なお供え物と考えられていたそうです。つまり、現在のお賽銭をお供えするということは神仏に感謝する形を金銭でお供えするということです。モラロジーでも同様な行為を報恩と称しています。この報恩の意味は神仏への感謝と同様に、国や家そして道徳を教えていただいてきた先輩方に感謝することを金銭等でお供えすることです。モラロジーを学び。人様のお役に立ちたいという気持ちが湧いたときにその費用として自分の力のできるだけのことをすることと先輩から指導を受けてきました。日々の生活の中で目に見えない様々なことへの感謝の気持ちを報恩・お賽銭という形で現しましょう。

令和6年12月『インバウンド』

10月25日小学校の校外学習で浅草・東京タワーに行ってきました。浅草では観光ボランティアの方に説明を受け、改めて浅草寺を知りました。東京タワーでも予想通りインバウンド(観光業界で使われる訪日外国人という単語)がものすごく多く、改めて驚きました。Web上ではこの外国人客の日本に対しての感想が多く書かれています。日本人は礼儀正しく、日本人同士の尊敬の念を外国人に対しても尊敬の念を感じた。マナーが良くサービス精神が高い。公共交通機関が時間通りに運行するなど外国人は驚くようです。しかし、今の本当に姿は違ってきているように思えます。今年の部活動の指導で練習や試合で部員が集まらないことが続いています。これは勤務校に限らず、中学校の先生も他校の高校の先生方も口をそろえておっしゃっています。中学校では部活を休んでも強く指導できない。休むのは当たり前。親からのクレームがある等。勿論、こんな学校ばかりではないと思いますが、意欲的に活動してきたはずの部活動でさえこんな状態です。以前に自己中(自己中心主義)という言葉がはやりましたが、今は行き過ぎた個人主義の上に強い自分本位の考え方が重なっている状態だと思います。自分が大事で自分が良ければよく、周りや他の人間のことなど考えない。おそらく、小・中・高校生は親や周りの環境の影響でこんな子供たちが増えていると思います。島国の日本は均一社会で日本人はみな同じルール・モラル・マナーを持ち合わせていました。しかし、現在は多様性社会といわれそれぞれ違う考え・行動が許されています。男女共同参画に関する条例がない千葉県では、今年「多様性尊重条例」なるものが制定されました。多様性が尊重され誰もが活躍できる社会の実現を図るためという趣旨は理解できますが、今以上に様々な考えの人間が出てきて日本の誇るべき文化・社会が壊れていきそうな気がしてなりません。まだまだ外国人が驚くような日本ですが、果たして「おもてなし」の精神は今後も続くことができるのでしょうか。教育に携わっている私は、もうひと頑張りかなと思います。

令和6年11月『昔話』

10月20日(日)に上総モラロジー事務所の生涯学習セミナーに出講してまいりました。最近では珍しく一般対象の4コマでのセミナーでした。また、テキストが10月から新しくなり、初めての講義でした。講師になってから3冊目の変更。一般の方々に分かりやすくという趣旨で変わったそうです。前のテキスト(心新たに生きる)の最後(日々新たに―最高道徳実行のすすめ―)に「道徳的因果律の確信を持った生き方」と掲載されていました。この道徳的因果律について大塚信三先生は「今日まで、道徳教育が軽視さてきたのは、道徳実行の効果について人々に確信を与える科学的研究が不十分であったからであると考えられます。モラロジーは、人間の精神作用および行為とその結果との間に因果律が存在するという立場から、道徳実行の効果を科学的に証明しようとするものです。」つまり、善因善果・悪因悪果・自因自果。善い原因を作れば善い結果が生まれる。悪い原因を作れば悪い結果が生まれる。自分が作った原因が自分に返ってくる。このことを科学的に証明したのがモラロジーの原点です。だからこそ聴講者にこのお話しをしなければと最後の10分にお話ししました。この善因善果の説明が難しいのかテキストから無くなりました。私は昔話でこのテーマを説明しました。昔話「おむすびころりん」正直お爺さんと欲張りお爺さんが住んでいました。正直おじいさんは山でお昼のおにぎりを食べようとしたところコロコロと穴に落ちてしまいました。中からネズミたちの歌声が聞こえてきました。おじいさんは楽しそうなので穴の中へ。そして、ネズミたちがお礼に大きな葛籠か小さな葛籠のどちらが良いですか。おじいさんは小さな葛籠を持って帰り開けてみると宝物がいっぱい。欲張り爺さんが同じように穴にお結びを落とし、お土産に大きな葛籠を選んだところ穴から出るのが大変でしたというお話。昔話から善い行いをすれば善い結果が現れることを聞いてきました。自分に置き換えると13年前の東日本大震災で支援に行きました。帰りに小さな葛籠(感謝)をいただきました。葛籠を開けてみると中に自分の深い思いやりの心が入っていました。

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