日本橋モラロジー事務所

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MORALOGY

 

飯島孝夫さんの『東京点描』

令和5年12月『虎ノ門』

晴天の中、地下鉄「神谷町」を下車し、ビルの谷間に神谷町緑道があります。

人通りもなく木々も色づき、好調な滑り出しです。城山ガーデン公園を抜けスウェーデン大使館脇を通り突き当りが、住友東京別邸跡にある泉屋博古館東京に出て、展示物は「日本画の棲み家」と題し住友家に飾られていた日本画、「床の間芸術」の掛け軸など興味深く見学しました。突き当りを右折しますと、アメリカ大使館に出、右前にある大蔵集古館をまた右折します。当館は大倉喜八郎によって大倉組商会設立150周年にあたり、親交のあった歴史上著名な偉人の書と言葉が展示してあります。直進し気象庁の「みなと科学館」を経て、国道1号線を渡ると愛宕神社に出ます。この愛宕山は23区内の自然の山としては最高峰(25.7メートル)を誇り、ここから日本初の放送局「東京放送局」(NHK)があり現在NHK放送博物館があります。神社は徳川家康にとって建てられ「天下取りの神」「勝利の神」ともいわれました。この神社の出世の石段を下り、虎ノ門ヒルズに出、この地下に私の住まいの下にあるパン屋の支店が出来ています。目の前にある虎ノ門ヒルズ駅より帰宅。

令和5年11月『中野界隈』

今回も中野駅周辺を歩きました。

北口を出てすぐ目の前にある区役所に向かい、すぐ脇に「中野犬屋敷跡」があります。ここは5代将軍徳川綱吉が設けた幕府の野良犬保護施設で敷地約30万坪、最盛期には10万頭いたといわれます。ここより中野四季の森公園を抜け、駅方面に戻り駅前通りを北上しますと地元の総鎮守である新井天神北野神社に出ます。すぐ脇には小さな新井薬師公園のひょうたん池がありヘラブナを目当てに釣り人がいるのには驚きます。通りを挟んで新井薬師梅照院がありご本尊は、薬師如来、如意輪観音の二つの仏が両面に配され二仏一体の国内でも非常に稀なご尊像で弘法大師の作と伝えられているそうです。これより薬師あいロードの参道を通り駅に戻ります。途中、昭和41年に出来た先駆的な商業住宅複合ビル中野ブロードウェイは初めてでしたので煩雑とした規模の大きさに大変驚きました。続いてアーケイドの中野サンモール商店街を通り中野駅に戻りました。

令和5年10月『善福寺川沿い』

本日は秋晴れの中、善福寺川沿いに歩いてみました。

丸の内線「方南町駅」を下車、環七通りを4~5分歩くとスタート地点の川沿いにある定塚橋公園に着きます。これより約5.5キロ、90分にわたるウォークキングです。杉並区にある一級河川善福寺川ですので初めは人工的に整備された川並を歩くようになると思いましたが、しばらく歩きますと自然公園の中を探索している様に思えるぐらいに、両脇は公園や緑地帯に囲まれた道のりには驚きました。またテニス場、野球場などが点在しており多くの人がプレーをしています。まず、杉並郷土博物館、和田倉堀公園を進みますと道端に植えてある金木犀の香りに包まれて心地よさが倍増します。和田倉堀公園脇には古墳跡もあり、望遠レンズを片手にバードウォッチングのグループも探索をしています。桜、銀杏並木を通り、多くかけられている橋を左右に渡りながらの行程です。善福寺緑地に掛かりますと終点の松渓公園までわずかになり、都内での自然に囲まれた河川沿い歩きに満喫しました。終点より歩いて12分JR荻窪駅により帰路に着きます。

令和5年9月『中野界隈の散策』

今回はJR中野駅から東中野駅まで約5キロの道筋を緑道沿いに歩いてみました。

中野南口広場の前のおしゃれ坂「レンガ坂」を上ります、現在ここは人気のある画家、笹倉鉄平氏が各店舗シャターにアートを施してあるそうですが、残念ながら各店舗は開いていましたので見る事が出来ませんでした。これより左折して暫く進み、狭い緑道ですので左手入り口を注意して見つけて入ります。元々は弁天池の湧水池から神田川に合流する小川でしたが現在、地下水路となりその上に緑道が整備されています。これより2.5キロ神田川まで進みますが炎天下ですので途中、珍しい昭和23年に建てられた古民家のカフェ「モモガルテン」で涼を取り、コーヒーと美味しいケーキを頂き休憩して、神田川に着くとそこにはなんと、南こうせつの神田川歌碑がありました。これより緑の多い神田川沿いを辿り左折してタワーマンション脇を通り東中野駅に到着です。 

令和5年8月『泉岳寺から白金プラチナルート』

日差しの強い日、帽子と水筒を持って出発!泉岳寺駅を下車、

泉岳寺を左手に見て白金高輪駅目指して進みます。以前、上皇上皇后両陛下が御仮寓所として住まわれていた高輪皇族邸前を通り、ご移居記念樹としてプリンセス・ミチコのバラが植えられています。邸を右手に曲がり旧熊本藩細川家下屋敷跡に植えられてある、東京都指定天然記念物の高さ10.8メートル幹幅8.1メートルのシイの木がありました。白金高輪駅に着き桜田通りを進み、東京大学医科学研究所が右手にあります、前身は北里柴三郎により設立された伝染病研究所だそうです。そのまま進み白金台交差点を右折し、通称プラチナ通りでシロガネーゼ御用達の素敵なショップが点在しています。ウインドショッピングをしながら外苑西通りに出て、天現寺橋を右折して、二筋目を左折すると閑静な通り沿いにフランス大使館がありさらに進むと、徳川二代将軍忠秀の勧請と伝えられる廣尾神社がありす、有栖川公園に出て終着点に近づきホット一息、広尾駅にて帰宅しました。暑さに負けず頑張りました。

令和5年7月『下町の歴史と文化ルート』

まず日暮里駅東口を下車、尾久橋通りを日暮里南公園に向かいました。

すぐ近くに第二日暮里小学校があり、記念碑が立っています。そこに刻まれている詩は「夕焼け小焼け」で、この作者はこの小学校に赴任した中村雨紅(童話詩人)だそうです。この通りは、1キロにわたり布の街・布の道の旗が掲げられている有名な日暮里繊維街です。妻はレースの生地を買い求めました。通りの終点が日暮里駅に戻ります、駅前を右に曲がり西日暮里駅に向かって行くと、途中には下町風情を色濃く残した飲み屋街が軒を連ねています。西日暮里のガードを越えすぐ左折すると、細い坂道があり登り終えると、そこは道灌山です。江戸時代は、ひぐらしの里ともいわれ人々の憩いの場所として親しまれたようです。またこの辺りは縄文時代の遺跡が出土されています。さらに進むと第一日暮里小学校があり、ここを卒業した高村光太郎の書「正直親切」が刻まれた記念碑もありました。右折して、今でも富士山が望める富士見坂を下り、谷中銀座に通ずる「夕やけだんだん」の階段を上り帰路につきました。

令和5年6月『ナイトウォーキング』

夜、日本橋周辺を歩いてみました。

自宅を出て江戸通りを小伝馬町に向かいます。ここは伝馬町牢屋敷があり、首切り浅右衛門で有名な山田浅右衛門が勤王の志士96名を処刑した所です。ここに囚われた、吉田松陰先生の終焉の地でもあります。これより進みますとコレド室町テラスの大きな建物に出ます、この建物の裏側に無数の小さな噴水と竹林があるのを気付く人は少ないと思います。ライトアップされた噴水を見ながら日本銀行を右折しますと外堀通りに出て、通りを渡りますと国指定史跡の常盤橋門跡に出ます。1629年に築かれた江戸城外郭の正門跡です。橋を渡りますと目の前に26階のトーチ常盤橋タワーが見えます、前の広場を横切りますと、右側は2027年竣工予定、地上63階地下4階、東京タワーより高い390mのトーチタワー跡地です。目の前の永代通りを左折して進むと、コーヒーとチョコレートが美味しいゴディバカフェに出て、左折して、間もなくすると日本橋に到着です。まだ人通りも多くライトアップされた橋も一興でした。

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