日本橋モラロジー事務所
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飯島孝夫さんの『東京点描』
令和4年2月『文教区近辺の散策』
今回は文京・文人の道と題して歩いてみました。都営地下鉄の千石駅で降り、小石川植物園沿いに歩きます。
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白山上を通り、日本医科大学付属病院手前を曲がりますと夏目漱石旧居跡にたどり着きました。イギリス留学後この地に住み東京帝大英文科、第一高等学校講師として教鞭をとり「吾輩は猫である」を出筆、この家が舞台となり、猫の家、と呼ばれたそうです。 その後「坊ちゃん」「草枕」などの名作もこの地にて発表、漱石文学発祥の地です。
この通り沿いすぐそばに住居を構えた森鴎外もこの地に以前1年間住まわれたとの事です。まもなく森鴎外記念館(旧居跡地)につき、鴎外生誕160年没後100年展を見学しました。東京大学医学部を卒業し、 ドイツ留学後、明治40年に陸軍軍医総監・陸軍省医務局長をされ退官後、帝国博物館総長を亡くなるまで勤めました。その間に名作の数々を発表したわけですから驚異的です。 鴎外は自分の顔を、生まれたままの顔ではなく経験が作り上げた顔であると言われた事も納得がいきます。そのあと団子坂上を昔銀行の頭取などが居を構えたことから「銀行通り」と呼ばれた本郷台地の趣のある通りを都指定名勝の旧安田邸庭園、 高村光太郎旧邸跡、ファーブル昆虫館を経て帰路につきました。
令和4年1月『お正月の神田明神の散策』
お正月の神田・お茶の水界隈を歩いてみました。JR中央線お茶の水駅で降りて歩き始めです。
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1月2日、私どもの氏神様でもある神田明神に初参りに行ってまいりました。途中、若い人が多く出ている秋葉原駅付近を通って神田明神下から緩やかな坂道を門前まで登ります。 コロナ禍にもかかわらず多くの参拝者が境内にはおりましたが特別参拝券がありましたので、人混みを避けて本殿脇の参拝所でお参りをさせて頂きました。
五代将軍綱吉によって建てられた孔子廟「湯島聖堂」幕府教学機関である昌平坂学問所(日本の学校教育発祥の地)もここにありました。 この脇を通り本郷通り沿いに皇居に向かいます、途中、国の重要文化財に指定されたニコライ堂を経て皇居の桔梗門まで行きました。この御門は別名、内桜田門と称せられ大手門と同じく大名の登城門となっていたそうです。 本来本日は一般参賀の日でしたが中止となり残念でしたが、いつものように丸ビルにてコーヒーとケーキを頂き穏やかな一日の締めとしました。
令和3年12月『中央区再開発現場の散策』
中央区で大規模開発が進んでいる4ヶ所を晴天のなか訪れてみました。
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①これから取り壊すところ、②一部取り壊しが残っているところ、③開発がほぼ終わっているところ、④更地になっているところの順に訪れました。
まず日銀前の①常盤橋地区(工費4946億円)2027年完成予定の日本一高い、地上63F高さ390mのトーチタワーができます将来が楽しみです。現在、隣には常盤橋タワーがすでに建っています。
ここから東京駅前の②八重洲1丁目現場(工費2054億)に向かいます、ここは会員の曽根さんの会社があったところです。
すぐ隣の③八重洲2丁目地区(工費2438億円)に行きますと、そこにはすでに大きなビルが眩しく建っていました。ここから高島屋の前を通り日本橋に向かって歩きます。
日本橋すぐ手前右側が④日本橋1丁目中地区(工費3120億)です。 すべて更地になっていますので、オムライスがおいしい「たいめいけん」の跡地は分りませんでした。地元での変遷を垣間見るウォーキングでした。
令和3年11月『城北の大仏殿の訪問です。』
本日は、板橋にある東京大仏を訪れます。
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まず近くにある、下総国の守護であった千葉氏が入城した赤塚城の城址跡に行きました。小高い丘の上にあります、下って赤塚溜池公園、区立美術館を辿って乗蓮寺に着きました。 600年の歴史があり、徳川将軍のお鷹狩りの休み処となっていたそうです。ここに奈良、鎌倉に次ぐ東京大仏があり、高さ13m重さ32トン規模からすると見劣りはしますが、観光客は居ず、静寂に包まれ厳かな佇まいです。 最後に板橋区立、果実園・植物園に行き多品種に及ぶ果物、野菜が小学生の研修用に植えられていて、別の園には、万葉集に詠まれた植物、薬草の数々が植えられているのには驚きました。小春日和の一日の散策でした。