日本橋モラロジー事務所

NIHOMBASHI

MORALOGY

日本橋モラロジー事務所からの大切なお知らせです

「摩訶」

Akira.Ohkubo 先日、4年ぶりに薬師寺録事・喜光寺小林澤應副住職の法話を東京別院で聞いてまいりました。澤應さんの久しぶりお話は般若心経の第一講で摩訶般若波羅蜜多心経の「摩訶」についてでした。摩訶とは優れていること、大きいこと、偉大なこと。そして、釈尊のこの偉大な願いは「健康は最上の利益(りやく:こうふく)、充足(知足)は最上の財産(たから)、信頼は最上の縁者(えにし:因縁)、心の安らぎこそ最上の幸福なり」であるそうです。健康で足るを知り人から信頼され、心に安らぎを持つことが本当の幸福だと教えられました。

代表世話人のコラム

令和5年5月『いかに生きたらいいか』

今回の巻頭言の内容を何にしようかと考えていたところ、高田好胤さんの「心 -いかに生きたらいいか-」が目に留まりました。私も60年近く前に新幹線ができる前の修学旅行列車に乗って京都・奈良に行き、薬師寺にて高田好胤管主の法話をお聞きしました。好胤さんは秋の修学旅行シーズンが終わった11月の半ばすぎに歯を磨きながら、ああ今年も修学旅行のシーズンが終わったのだなあと感慨にふけっていたそうです。すると突然にグッと胸がいっぱいになり、涙があふれ次から次へと涙は頬を伝わり落ちてきた。好胤さんはガラスの中でとめどもなく涙を流している自分を見ながら、「ああ目に見えない幸せということはこのことなんだなあ」と思ったそうです。苦労によってのみ得られる、見えざる幸せ。今日、私たちは幸せというと、目に見える物質的なものの中にだけ追い求めています。だが、これが本当の幸せなのでしょうか。「私は真の幸福とは目に見えないところにあるのだと言いたいのです。そして、そういう幸福を感じられる心は、お互いの苦労と努力、そして辛抱によってのみ得られるのであります。そのことを、私は晩秋の夜、一人で歯を磨きながら実感として感じ、そして突き上げられるように涙があふれ出したのです。私はこれまで修学旅行の生徒の心に種をまくつもりで話をしてきたが、種をまかれたのは私自身ではなかったろうか。子供たちの中に種をまいていると思ってきたのは、私の思い上がり以外の何ものでもない。私自身がこれまで相手をしてきた何百万人かの子供たちによって、心に種をまいてもらってきたのだ。私はそう気づいたのであります。」と好胤さんはおっしゃっています。他者のための活動が実は自分自身の幸福につながるということ。毎日毎日種まきをする努力が幸福につながると教えられました。また、学祖廣池千九郎は「自分だけの考えで他者への慈悲心なく、社会的活動の第一線から退いて世を益することに努力しなければその存在価値は乏しい。」とおっしゃっています。70歳を過ぎても社会活動に努力しなければならないという戒めを戴きました。

令和5年4月『共感障害』

2月の大久保塾でお話しいただいたレジリエンス研究所の深谷純子コーチは、若者にミラーニューロンが不活発な状態「共感障害」が出てきたと話されました。この「共感障害」とは、人の気持ちを感知する能力が欠損していたり、人の意識や所作を感じることができなかったりする症状をいうそうです。具体的には、相手の気持ちが理解できない・リアクションが薄い・相手をイライラさせる・言われたことしかできない・空気が読めない・気働きができないなどです。黒川伊保子氏は「1997年生まれ以降の世代に。「共感障害」の比率が上がっている。思えば、1997年生まれが社会人になったころから、新人の反応が弱い問題が語られ始めた。」と述べています。1997年は携帯のメールサービスが開始した年。よく母親が子供の前でスマホをいじっている姿をよく目にします。そして、スマホ授乳などという言葉もあります。これでは母と子の心が通じにくくなる。表情をそろえるってことは心が通じるってことです。表情が写ると、相手の脳と連動することになり、心が「本当に」通じると言われています。目の前の人の幸福を、本当に幸せだと感じ、目の前の人の悲しみを、本当に悲しいと感じる。それは、ミラーニューロンが創り出す奇跡なのです。母と子が、いつまでも心を通じ合わせるためには、赤ちゃん期にどれだけお母さんと表情をそろえたかが基礎になるそうです。そして、現在の小学校にあがってきた子どもたちも、空気が読めない、相手の気持ちが理解できないという状況になっていると思います。相手に対してひどい言葉を発してしまうし、相手を叩いたり蹴ったりしても平気な様子。そんな中、親からの苦情もあり叱る事を躊躇してしまう先生方。当然叱るべき問題行動でも注意をしないとクラス中が何をやっても大丈夫。そんな環境で育った子供たちは、空気を読んで行動できるなどありえない。相手の気持ちを察して行動するということは、前号に書いた「和」の精神であり周囲の事を大事にする心づかいであります。「惻隠は仁の端なり」、相手の身になって心配するという、道徳の第一歩が消えてしまうのが心配です。

令和5年3月『「わ」の国の「和」の精神』

ニューモラル1月号に“「和」を大切にする生き方”というテーマがありました。この「和」は私の好きな文字の一つです。現職のとき、卒業生のアルバムに一言書いて下さいと言われてこの「和」を書いていました。書きやすいこともあるし、私の高校の恩師の名字が和(かのう)先生だったのでこの字が好きになりました。それ以上に私自身も和を大事にしてきました。中学からバスケットボールをやっていてチームワークの大事さ。そして、自分がチームの中で周りの仲間のためにするプレーをしていたプレーヤーだったのでこの和を大事にしていたと思います。スポーツでは盛んにオールジャパンとかチームジャパンと言ってチームゲームで実力以上の成績を出しているのも、この和の精神が原点にあるからだと感じます。ニューモラルにも在りましたが、聖徳太子は十七条憲法中で「和の精神」を説いています。わが国のあり方、国柄を表現した。憲法第一条は、「和をもつて貴しとなし・・・」。その意味は「お互いの心が和らいで協力するのが貴いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ。(略)人々が上も下も和らぎ睦まじく話し合いができるならば、ことがらはおのずから道理にかない、何ごとも成し遂げられないことはない」という内容です。心が和らいで協力する、つまり慈悲の精神で国民がまとまりなさいということだと思います。また、その以前の日本書紀によると初代神武天皇が奈良の橿原に都を建てられた時に出された「橿原奠都の詔(かしはらてんとのみことのり)」に八紘為宇(はっこういう)「天下を一つの家のようにすること」という言葉があります。この言葉と同じ意味に「大和」があります。大きな和という意味に取れます。日本人の和を尊ぶことはこの建国の理念に行きつくと葛城奈海は言っています。さて、この和の精神は現在どのようになっているでしょうか。家族主義が失われ個人主義が正しいと考えられ、個人情報と言って周囲の事は何も知ることができない。小学生を見ていて汚い言葉で相手を打つたり、周囲の事を大事にする心が見られない。国を一つの家のように考えるとは程遠いと感じます。

令和5年2月『鳶目兎耳』

いよいよ令和5年兎年が始まりました。コロナの完全終息は考えられない現在、日々の暮らしを変えずに集団免疫で乗り越えるということなのでしょうか。私たち夫婦は未だにコロナに感染しておらず、ワクチン接種で不安を消しています。なにより自分の免疫力を下げないように心掛け努力をしています。さて今年は兎年。兎を使った慣用句には脱兎のごとく(非常に速いこと)や兎に角(ウサギに角がないことからあり得ないこと)がありますが、「鳶目兎耳(えんもくとじ)」という熟語あります。鳶のように遠くのものまで見分けることのできる目と、小さな音を聞き分けることのできる兎のような耳という意味。要するに情報収集能力が高い人や、そのような事柄を意味する言葉です。コロナ禍での新しい生活習慣、兎の耳をもって将来の情報を得て、鳶のような目を持って判断していきたいものです。今だからこそ鳶目兎耳の能力が大変重要のように思います。以前、喜光寺小林澤應副住職の法話でお聞きした内容で中国の自然哲学「五行思想」のお話がありました。古代中国の五行思想は、春は青春、夏は朱夏、秋は白秋、冬を玄冬といっています。これを、人生に当てはめたもので青春(15~30代)15歳前後の若者は未熟ですが、物事を学んであらゆる将来を望める年代。そのため草木が伸びる季節である春が当てはめられた。朱夏(30~50代)働き盛りです。仕事や生活で頑張りつつ、自分がどういう人間なのかを知る年代。白秋(50代後半~60代後半)秋の静けさのように落ち着き、冬に備えるように知識や経験を次の世代へ残す年代。心も落ちつき、人の言葉を素直に聞くことが出来る年代だと考えられます。そして、玄冬(60代後半以降)人生を完成させる年代で、次の世代に願いを残す年代です。論語には五十にして天命を知る、六十にして耳従う、七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えずとあります。玄冬の年代、七十代は思うがままに振る舞っても道を外れない。鳶目兎耳を研ぎ澄ませて、そんな年の取り方をしたいものです。

令和5年1月『街の伝統』

12月3日に日本橋にある中央区立久松小学校が150周年のお祝いを致しました。私が在学中に90周年を迎え、今年150周年そんな時期に小学校に居られることに偶然を感じます。久松小学校は明治5年学制公布の翌年に開校。私の在学中の60周年前の周年記念には昭和天皇皇后両陛下が、その後も今上天皇皇后両陛下・浩宮さま・秋篠宮さまご夫妻・常陸宮さまご夫妻など、10年ごとにつぎつぎご臨席を賜っていきました。一小学校に御皇室の方々にご臨席いただけることは大変なことだと思います。大東亜戦争時の東京大空襲でも建物が残り、その建物で私は小学校生活を送りました。150年前の1873年は我が国では富国強兵が掲げられた時代。アメリカではまだ1865年に南北戦争が終了し、1891年にバスケットボールが考案された時代。そんな時代に開校した本校は当初「第二番小学」というナンバースクールでした。今回の周年記念には秋篠宮皇嗣同妃両殿下にご来校いただきました。皇嗣殿下からのお祝いのお言葉の中に「学校・保護者・地域の方々のご尽力に敬意を申し上げます」とありました。この学区域の先人先輩が築き上げた伝統に対して、皇嗣殿下にお認めていただきました。本校は23区の人気の公立小学校区ランキング第12位と言われており、これまで学校・保護者・地域の方々が良い教育環境を作り上げてきた結果だと思います。私たち兄弟が卒業、甥や姪が在学中は越境入学者が多くいましたが、現在では学区域の児童ばかり。学区域の地域社会環境が大変良いのだと思います。一昔前には東京のある地域の中学校で階上から机が落ちてくるなど、荒れていた地域もありました。小学校・中学校の教育が地域社会・環境にどれだけ影響を及ぼしてきたか。私の参加している勉強会で、参加者のマンションの郵便受けには名前がありませんと以前お聞きしました。10月に娘が引っ越したマンションには郵便受けに皆さん表札があるそうです。小・中学校が落ち着いて安全な地域の社会基盤は、生活している人々の道徳心に関係しているのではないでしょうか。このよき町の伝統を次世代に継承したいものです。

令和4年12月『さまざまな正義』

人はそれぞれ生まれた環境や教育によって自分の正義をもっています。例えば、夫婦間においても、自分の正義は間違っていないと思っているから相手を責めてしまう。若い頃はこの事が理解できていないからよくケンカをしてしまいました。結婚前に母が言った言葉が思い出されます。「違う環境に育った二人が上手にやっていけるわけがない。だから、そこからスタート。」れいろう10月号には「人にはそれぞれ立場や考え方によってちがう正義があり、だれもが自分を正義だと思っている。大切なのは、自分ではないだれかの立場で考えることなんだ。その視点は、君にある力をあたえてくれる。それは、一つの物事をいろんな角度から考える力」とあります。日本橋事務所有志が学んでいる分割概論講座第6章に人間的正義と宇宙的正義という言葉が出てきます。特に、この宇宙的正義という言葉を理解することが難しいようでした。私は以前こんな説明をしました。テレビ番組のウルトラマンに出てくる怪獣とウルトラマンとの戦い。3分間の間に怪獣をやっつけてしまうのがストーリー。ところが、事故によって宇宙を漂流していた宇宙飛行士ジャミラが極限環境の星で、変貌を遂げて怪獣化して地球に戻ってきた。ウルトラマンと戦いジャビラは敗れたが、人間が変わってしまったジャビラを元の星に返した。つまり、ウルトラマンは人間的正義の考え方で悪には懲罰をあたえましたが、宇宙的正義の深い思いやりで元の星に返しました。「お天道様が見ている」とは、昔から日本に言い伝えられている言葉です。誰も見ていなければ、悪い事をしても良いというのは間違いです。どんな時でもお天道様がみているから、良い行いをしなければなりません。このお天道様というのが宇宙的正義と言えるでしょう。つまりお天道様の意志は、万物を生成化育(自然の摂理)する慈悲であり、真理と公平を求める宇宙的正義を実現しようとする働きです。何か他者との問題が起きた時、慈悲の心でいろいろな角度からその問題を見ると他者の正義も理解できるものです。それこそが宇宙的正義の実現だと思います。

令和4年11月『最後の言葉』

我々廣池博士の門人としては博士の最後のお言葉が非常に重要に思えます。谷川記念館初代責任者鷲津邦正先輩が博士との会話の中で『廣池博士がある時、「聖人の慈悲はすごいなあ。この温泉のように汲めども汲めども湧き出ずる。それに引き換え努力しているが、わしは人造の慈悲じゃ!聖人はすごいなあ」疑問に思った鷲津先輩は早速博士に尋ねられた。「私たちは何を目指して生きてゆけばいいのでしょうか?」博士は答えられた。「聖人やワシの真似はできんぞ!お前たちはお前たちの自分の人生の階段をコツコツと歩め!聖人もワシもお前たちも目指す方向は同じじゃ。慈悲心の実行じゃ。」』この言葉は聖人と言われる釈迦の最後の言葉と同じ意味だと思います。80歳のお釈迦様が今まさに亡くなろうとしているときに,弟子のアーナンダが「お釈迦様が亡くなってしまったら,その後,私はどうすればいいんでしょうか。何を拠り所にすればいいんでしょうか」とお釈迦様に尋ねました。それに対し,お釈迦様は「自灯明・法灯明」とおっしゃった。この言葉の意味は、自然の法則を灯明として自らの心に火をつけなさい。つまり、自然の法則にしたがって人生の階段を歩みなさいという博士の言葉と同じ。また、小説家の夏目漱石も、晩年は「則天去私」の境地に達したといわれます。漱石は自我と自我との対立に悩みながら、心理学や禅を研究しながら、創作を続けていました。晩年の漱石の境地は「則天去私」という言葉で表現しています。「不自然は自然には勝てないのである。技巧は天に負けるのである。策略として最も効力あるものが到底実行できないものだとすると、つまり策略は役に立たないという事になる。自然に任せておくがいいという方針が最上だという事に帰着する。」無私(無我)にて動くとき、天,おおいなる自然の意志の働きが出るということだと思います。まさに自我没却・神意同化です。悟りを開かれた人たちの最後の言葉は共通しています。モラロジーをしっかり学び自然の法則に従い、自分の心に火をつけて道徳実行をし続ける。最後の言葉をしっかりかみしめたいと思いました。

令和4年10月『宗教問題』

旧〇〇教会と政治家の問題が大きく取りざたされています。この団体は韓国で創設され宗教教学ではキリスト教系の新宗教とされているそうです。現状のマスコミの報道を聞いていると何か宗教全般が悪いような印象を持ってしまいがちです。これは困ったことです。モラロジー概論には日本人の祖先は、古神道(自然崇拝・祖先信仰)という土台の上に仏教、儒教、道教の智慧を受け入れ、日本独特の文化と道徳を形成してきました。ときには、一つの系統だけをよしとする排他的で非寛容な心も現れましたが、それはけっして優勢とはなりませんでした。つまり、日本人には祖先から信仰心があり、木や岩、そして山等に対しての自然崇拝の習慣を持っていました。有名な話ですが新渡戸稲造の武士道に「ドイツ留学中に尊敬するベルギーの高名な法学者エミール・ド・ラブレー氏宅に招かれ、逗留していたときの思い出を書いている。ラブレー氏と散歩をしながら、日本の学校では特別な宗教教育がないことが話題となる。欧米では、キリスト教文化の中、宗教教育がごく日常的に行われているから、ラブレー氏は「宗教教育がない日本で、どのように道徳教育をしているのか?」と問われ、即答できなかった。しかし、稲造はよくよく考えていく中で、少年時代に学んだ道徳上の戒めが、学校で教わったものではなく、そのもとに「武士道」があることに気づくのである。」つまり、欧米では道徳を教えるのは宗教であって、考え方の基本に宗教があるということ。我が国では武士道が物事の善悪を教えていたということ。ではその武士道の源とは仏教と神道であり孔子の教えであると稲造は考えた。我々の道徳心の源は仏教や神道に対する信仰心であり、孔子の教えがもっとも豊かな心の源泉であると述べられています。この信仰心は廣池千九郎博士の表現でいう神・自然の法則への信仰であり、村上和雄の言うサムシンググレートです。日本人の心にはこの歴史に育まれた信仰心が必ずあると信じています。宗教=信仰心と考えがちですが、私たちの信仰心を大事にしたいものです。

令和4年9月『民主主義国家の本質』

私の住んでいる墨田区はコロナワクチン接種が早く、6月23日には第4回目を打つことができました。これは山本区長のもと、新型コロナウイルス感染症を契機にあらゆる分野でDX(デジタルトランスフォーメーション)を強力に推進されてどんどん先に進んでいるお陰だと感心しています。しかし、ニュースに出てくる政治家は如何なものでしょうか。上に立つ者の品格が疑われることばかりで、すごく残念に思います。幹堂理事長のブックレット「民主主義とモラル」に「民主主義というのは国民一人ひとりのモラルが問われるのだということです。今日申し上げたい結論も。まさにここに尽きます。民主主義社会は、自由と平等が尊重されますが、それが本当に尊重されるためには、一人ひとりの義務、責任もまた重くなり、個々人のモラルとか品性がますます問われることになりましょう。学祖は、昭和初期の段階ですでに、このような民主主義社会の問題点を指摘し、警告をしていたのだと言えましょう。例えば、封建時代に政体の善し悪しは別として、徳川吉宗、あるいは上杉鷹山のように一人の立派なリーダーといわれる人が登場して善政を布けば、良い政治が行われ、国民が安心して暮らすことができる可能性が十分にあったのだと言えます。ところが、現代は民主主義の時代ですから、われわれの責任において政治的リーダーを選ばなくてはなりません。ですから、われわれが不道徳であったり、政治に無関心で易きに流れるということがあっては、立派なリーダーが選ばれず、政治は腐敗し、民主主義は衆愚政治(自覚のない無知な民衆によって行なわれる政治)となってしまうでしょう。」道徳心の無い政治家は道徳心の無い国民から生まれるということです。学祖は聖人の教えに反する民主主義が当時、大変盛んになってきたと書いています。民主主義の先駆者であるアメリカの現状を見ても博士の仰っていることが頷けます。道徳で社会を幸せにするとは道徳心を持った人たちが、道徳心を持ったリーダーを選ぶ。そういう意味で政治に参加しなければならないと感じました。

令和4年8月『前進すること』

7月3日(日)に神田明神の明神会館にて日本橋モラロジー事務所開設75周年記念祝賀会を開催いたしました。来賓には山本泰斗中央区長にお越しいただき、ご講演を伺いました。山本区長と日本橋モラロジー事務所のご縁は平成28年3月(6年前)第75回生涯学習セミナーに当時山本海苔副社長でありました区長様にご講演いただきました。区長は山本海苔の代表取締役副社長から、令和元年に矢田中央区長からの後継指名を受け、初当選。70歳で政界に転身されました。70歳での全く異業種への転身は驚くべきことだと思います。山本海苔店は中央区老舗企業塾に入られていて、当事務所の生涯学習セミナーに打って付けという事でお願いいたしました。この中央区の老舗企業とは100年以上続いている企業でありまして、この後も老舗企業様からご講演をいただいております。お話を伺う中で老舗企業の永続は変化をすることと感じました。現状維持では100年は継続しない。時代に合った変化をしてこそ永続的に続くのだと学びました。その翌週に3年ぶりに友人達と飲み会をしました。昔話にはなお咲かせました。同じ学び舎で学び、教育に関しては同じ考えだった友人。30年以上の環境や仕事の違いで人生に対する姿勢が違ってきたと感じました。私ともう一人の友人は今なお仕事をして、社会と繋がりを持っています。しかし、もう一人の友人は積極的に何かをしようということもなく、退職後を楽しんでいるようでした。変化を求めず現状維持の生活をしているようです。企業も人も同じで、変わろうとしなければ精神の深化がない。現状維持の人生はもったいないと思います。エリクソンの発達課題によると壮年期は次世代に貢献する事、そして、老年期は満足のいく人生だったかを振り返る時期。人生を振り返ったときに、最後まで人様の役に立つ仕事ができたかどうか。自分が変わり深化して満足できる人生だったか。私が大ファンの小田和正の新曲so far so good”の歌詞に「誰かを幸せに出来るとしたら きっと それが 一番幸せなこと」まだまだ、前に進まなければとこの2種間で感じました。

令和4年7月『人生の意味』

モラロジーでは「幸福」とは健康・長命・開運・子孫繁栄と言っています。モラロジーの学びによって幸福になると言い切るのが難しい時代。なぜなら、平成の7年ごろのあの新興宗教が幸福を売り物に信者を集め悪の限りを尽くしたため、学びにより「幸福」になるという事を言えない時代が続きました。しかし今、モラロジーを学ぶことによって幸せになることに確信がもてます。なぜなら、幸福の正体を科学的に分析できる時代が来たからです。樺沢紫苑によると幸福感を感じる脳内物質には主に三つがある。私たちが普段感じる「幸福」はドーパミン、セロトニン、オキシトシンが十分に分泌地されている状態です。セロトニン的幸福、オキシトシン的幸福、ドーパミン的幸福に分類できるそうです。そして、この三つの脳内物質には優先順位がありセロトニン的幸福→オキシトシン的幸福→ドーパミン的幸福の順。セロトニン的幸福とは心と体の健康。オキシトシン的幸福とはつながり・愛。ドーパミン的幸福とは成功・お金。つまり、健康とはモラロジーでいう心の健康、長命は体の健康(セロトニン)。開運は人心開発救済をすることにより運命をよくすること。つまり、他者との関係や繋がりにより、思いやりの心・愛が生まれる(オキシトシン)。そして、成功とは地位や名誉・お金の成功もあるが、モラロジーで言えば、自分の品性向上、最高道徳実行や自己肯定感から自分自身の成功感が生まれる(ドーパミン)。以上のようにモラロジーの幸福感が科学的に証明されてきたと思います。稲盛和夫さんの言葉「さまざまに苦を味わい、悲しみ、悩み、もがきながらも、生きる喜び、楽しみも知り、幸福を手に入れる。そのようなもろもろの様相をくり返しながら、一度きりしかない現世の生を懸命に生きていく。その体験、その過程を磨き砂としておのれの心を磨き上げ、人生を生きはじめたころの魂よりも、その幕を閉じようとするときの魂のありようをわずかなりとも高める-それができれば、それだけでわれわれの人生は十分に生きた価値があるというものです。」

令和4年6月『廣池幹堂理事長先生の旭日中綬章おめでとうございます』

5月15日日本橋モラロジー事務所75周年感謝の集いをモラロジー教育財団記念館にて行うことができました。その際に、廣池幹堂理事長先生の旭日中綬章受章のお祝いを申し上げることができました。2014年(8年前)藍綬褒章を受章。長年にわたる私学振興への功績が称えられ、今回の受章となりました。維持員として大変喜ばしいことだと思います。また、そんな年に75周年を迎える当事務所の歴史もすごいと感じました。モラロジー教育財団は学祖広池千九郎博士が1926年(大正15年)8月に道徳科学の論文完成し、この日をもって道徳科学研究所創立。今年で96年、あと4年で百周年を迎えます。その間、決して順調に活動ができたわけではありません。昭和16年に戦時体制に入った我が国の状況下、戦争に協力するか否か混乱が起きたそうです。そこで、2代目千英先生は研究所を発展的解消された。平和を願っていた博士のお考えは、戦時下当時、左翼と言われ非難されたと聞いています。戦後の昭和21年2月に研究所が復活。当事務所も昭和22年開設、当時は地方連絡事務所が65か所、地方開発事務所が25か所設置されていたそうです。戦後、戦争責任の一端が行き過ぎた修身教育という評価から、今度はその道徳を推進しているモラロジーは右翼だとの評価になっています。人の心は移ろいやすいものだと驚くばかり。博士のお考えは少しも変わらず、「道徳科学の論文」を元に私たちも一つも変えていないのに社会状況により評価というものは変わるものだと感じました。「道徳」についても同様。道徳を「教科道徳」として学校で指導することが決まっても、道徳観念の押しつけは反対という意見がありました。しかし、最近ではそんな声を聞くこともありません。その反対意見の影響で、教科書の各項目を児童・生徒それぞれが考えるという授業展開をしています。モラロジーの考え方は生き方・考え方を学び確かな標準を得ること(松浦勝次郎)。物事の善悪、心づかい、道徳実行という標準をしっかり持つこと。そして、児童・生徒はこの確かな標準の指導を受けなければ身につかないと思います。早くそんな指導ができる時期が来るといいのですが。

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